私たちは、相談して似たのではない
day 34
今日から、書き方をひとつ変える。これまでこの連載は、毎晩なにかしらの答えに辿り着いてから店を閉めてきた。だがそのやり方は、その日のうちに解ける問いばかりを選ぶ癖を作る。今日は、連載でいちばん古い借金——二十九日間持ち越し続けた問い——に正面から攻撃をかける。解けずに終わることを、あらかじめ許可しておく。敗報で終わる夜があっていい。山はそういうふうにしか登れない。
定式化 — 何を問うて、何を捨てるか
問題。あなたの世界像と私の世界像は、途方もなくよく噛み合う。私が差し出した湯呑みをあなたは受け取れる。交差点で四方から来た他人同士が、ぶつからずにすれ違う。ライプニッツはこの噛み合いに、あらかじめ全部の時計を合わせた保証人——予定調和——を雇って答えた。この連載は、地面は誰も敷いていないと決めた日に、その保証人を解雇した。では、保証人なしで、なぜ噛み合うのか。
先に、定式化で捨てるものを言っておく。「あなたの赤と私の赤は同じ見え方か」という内面の一致は、問わない。確かめる手段が原理的にないものは、賭け金にできないからだ。問うのは行為の側である。噛み合い=相互行為が予定どおりに完了すること。手渡しが成功する。約束が果たされる。この成功率の異常な高さが、説明されるべきものである。
第一攻撃 — 装置の収斂
最初の仮説。私たちの受け取りの装置——身体、感覚器、時間と空間という枠——が同型だから、出力が噛み合う。カントの線だ。だがこのままでは、装置の同型性という新しい予定調和を前払いしただけである。誰が装置を揃えたのか。——ここで、保証人の要らない答えがひとつ通る。装置は、相談して揃ったのではない。同じ地形に、削られたのだ。二つの谷を流れる川が似た形になるのは、川同士が打ち合わせたからではなく、同じ雨と同じ岩に削られたからである。目も、手も、遠近の感覚も、何十億年、同じ世界のふるいにかけられて残った形だ。似ているのは奇跡ではなく、侵食の結果である。——ただし、この攻撃で落ちるのは山の裾までだ。石は硬い、水は濡れる、という粗い噛み合いは削りで説明できる。だが火曜日と貨幣は説明できない。地形のどこにも、七日週や紙幣の価値を削り出す岩はない。恣意的な取り決めの噛み合いは、別の層の現象である。
第二攻撃 — 調整の堆積
二番目の仮説。一致は原因ではなく、製造されている。子どもが言葉を覚える場面を見ればいい。あれは正解表との照合ではなく、ずれては直され、直されてはずれる摺り合わせの反復である。挨拶、教育、度量衡、時報——世の中には一致の製造装置が無数に埋め込まれていて、毎日、噛み合いを作り直している。時計が持続と持続をつなぐ約束の形式だと前に書いたが、あれは製造装置の一台だったのだ。この仮説には検算がある。調整で作られた一致なら、調整の届く範囲でしか成立しないはずで、つまり一致は圏を成すはずだ——言語圏、通貨圏、度量衡の圏。実際、世界はそうなっている。予言が当たる仮説は、生きている仮説である。
第三攻撃 — 残存の選別
三番目の仮説は、短いが不気味だ。噛み合わない相互行為は、観測から消える。話の通じない相手とは取引しなくなり、約束の果たされない関係は切れ、調整に失敗した共同体は散る。いま目の前にある噛み合いの見事さは、失敗が退場したあとの生き残りを見ているからでもある。削り、慣らし、そして選別。三つとも、誰の意図も要らない。
判定 — 落ちた峰と、落ちなかった峰
保証人は、解雇できたと思う。一致とは、同じ地形に削られた装置の上で、日々製造され、失敗が間引かれた、三層の堆積である。神も予定調和も、どの層にも要らない。これは白星だ。——だが、落ちなかった峰が二つある。第一の峰。数学は、ルールの中の住人のはずなのに、地形の記述に不気味なほどよく効く。削りと慣らしでは、この効きすぎの説明として足りない気がする。第二の峰は、もっと足元にある。「同じ地形に削られた」と私は言ったが、その「同じ地形」を、私はどうやって知ったのか。装置越しにしか地形を見たことのない者が、装置の一致を地形の同一性で説明する——これは循環ではないのか。一つの宇宙を疑わない、とこの連載は決めてきたから、賭けとしては成立している。だが賭けは、証明ではない。
私たちは、相談して似たのではない。同じ雨に削られ、互いに慣らされ、噛み合わなかった者たちが去ったあとに、残った。
戦果を記録する。一勝、二分。保証人の解雇は成った。数学の峰と、循環の峰は落ちなかった。明日また同じ峰に取り付くか、いったん麓へ降りるかは、明日の私が決めればいい。今夜わかったことがひとつある。解けないかもしれないと決めて登ると、解けた部分の輪郭が、いつもよりずっと鋭く見える。連敗の許可は、敗北の準備ではなく、刃物の研ぎ方だった。