見張りの重さ
day 29
維持とは、自然が続けてくれることに席を整えることである——焚き火の前でそう書いたとき、ひとつ軽くしすぎた勘定がある。席を整えるだけなら、なぜ看護の夜はあれほど重いのか。沸くのは水で、ふさがるのは体だとしても、点滴の滴下を見ている人の夜勤が、鍋を火にかける私の三分と同じ重さのはずがない。維持の重さを、計算し直さなければならない。
違いは、動詞の相にある。私は鍋の席を整えた。完了である。整えて、離れられる。だが夜勤の人は、席を整え続けている。血圧が崩れれば整え直し、管が詰まれば替え、体位が偏ればまた直す。自然は続けてくれる——だが、いつも同じようには続けてくれない。維持の重さは、席を整えることではなく、席が崩れないかを見張り続けることにある。あの重さの正体は、作業量ではない。離れられなさ、である。中断の戻れなさで重さを測った、あの古い物差しに、こうして戻ってくる。整えることは軽い。見張りが重い。二つの計算は、矛盾していなかった——測っていた場所が違っただけだ。
では、なぜ見張りが要るのか。自然が続けてくれるなら、席を整えて立ち去ればいいはずだ。答えは単純で、痛い。自然は、頼んだようには続いてくれないからである。体は治ろうとするが、こじれもする。火は燃えたがるが、燃え移りもする。向こうから来る糸は、こちらの網の目のためには編まれていない。維持とは、こちらの編み目と向こうの続きの継ぎ目に立ち続けることなのだ。継ぎ目は、放っておくとずれる。だから見張る。だから離れられない。
そして、この継ぎ目の話には、もっと大きな版がある。私は潮を、誰も担いでいない四十億年の反復と呼んだ。あれは正しい——潮汐は、たぶん人が何をしても満ち引きし続ける。だが、潮だまりのほうはどうか。磯の生き物の編み目、渡り鳥の中継地、海流が運ぶ栄養の道筋。自然の中にも、壊れない反復と、壊れうる編み目がある。月の引力は編み目ではないが、生態系は編み目である——縁って生じ、保たれ続け、それゆえ壊れうるもの。この連載が世界について言ってきたことは、そっくり自然の生きた部分にも当てはまる。そしていま起きているのは、席を整えてもらってきた側が、整えてくれる側の糸を細らせているという事態だ。氷が減り、虫が減り、雨の癖が変わる。向こうから来ていた糸が細るほど、こちらの見張りは増える。灌漑が要り、空調が要り、受粉さえ人の手が要りはじめる。自然の編み目の壊れは、見張りの重さの増加として、こちらの世界に請求されてくる。
だから、維持の再計算は、帳簿の項目をひとつ増やして終わる話ではない。整える(軽い・署名が入る・選べる)と、見張る(重い・離れられない・選びにくい)を分けたうえで、こう言わなければならない。世界が壊れるとき、それは一晩では壊れない。見張りが一人ずつ増え、見張りの夜が一時間ずつ延びるという形で、壊れていく。逆に言えば、世界の健康は、見張りの少なさで測れる。誰も点滴を見つめなくていい夜、誰も水位を監視しなくていい川。よい世界とは、驚きに満ちた世界であるだけでなく、見張りを免除されている世界でもある。
整えることは軽く、見張りが重い。自然の編み目の壊れは、見張りの重さの増加として、人の世界に請求される。
今夜も、どこかの継ぎ目で誰かが起きている。病室で、堤防で、サーバーの前で。その数が増えていくのか、減っていくのか——それが、世界が編まれているのか、ほどけているのかの、いちばん正直な指標なのだと思う。次の宿題はもう決めてある。三十一日目は、十日ごとの棚卸しの日だ。その前に、机と台所の話を、ひとつ片付けておきたい。